歴史が刻まれるとき

昨日、ロシアがウクライナに侵攻しました。
どうしてそうなったかは、新聞やニュースで
確認しておきましょう。
世界史を勉強している生徒はより身近に
感じることができたかもしれません。

世界史は過去を学ぶと同時に、
現代を生きる私たちは、その出来事の「記憶」を
残すことも大事です。

年齢がばれて恐縮ですが、
高校時代以降で起きたことは、いまでも思い出します。
テレビの同時中継での記憶です。

1989年11月に「東欧革命」が起き、
ベルリンの壁が崩壊しました。
それまで「壁」は越えることが不可能な、絶望的な存在でしたが、
その壁に市民がよじ登って、つるはしで壁を砕く姿を見て
ジーンとした思い出があります。

2001年9月には、ニューヨークのツインタワービルに
ジャンボ旅客機が突入するテロがありました。
その3年前に観光でそのビルのてっぺんに行ったことがあったので、
煙を上げて屋上から崩れ落ちるビルを見て、
ゾッとした思い出があります。

今の受験生の皆さんが学ぶ教科書に書いてある
これらゴシック体の文字が、同時代を過ごした人からすると、
様々な情景が記憶としてよみがえります。

数年前、知り合いの方々と「自分史」本づくりの
手伝いをしたことがありました。
70代から90代までの人生の大先輩の方々の文章は
私が「文字」や「記録」として味気なくとらえていた歴史や
すでに忘れ去られていたような出来事を
じつに瑞々しい文章で、その記憶とともに書かれていました。
こういった文章はほんとうに尊いものだなあ、と感じました。

今を生きる皆さんも、高校生くらいからだと
さまざまな歴史の転換点で、思い出が残ると思います。
ぜひ、その記憶を大事にしていただけたらと思います。

人生の大先輩の文章を読みながら、浮かんだことばを紹介して
終わりたいと思います。

“記憶とは記録と忘却とのたたかいである”


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