以前「『英語が読めるようになる』とはどういうことか」という記事を書かせていただきました。https://x.gd/LS0sX
大変な反響をいただきましたので、続編として今回は「評論文が読める」とはどういうことかを考えてみたいと思います。
国語はセンスの教科だ、とよく言われます。
確かに、
・論理的な流れをつかむ力
・言葉の意味を深く理解する力
こうした「言語感覚」が得点に影響するのは事実です。
しかし、ここで一つ誤解があります。
それは、「知識はいらない」という誤解です。
では、知識とは何でしょうか。
漢字の知識でしょうか。
キーワードの暗記でしょうか。
実は、それだけでは不十分です。
評論文を読むうえで本当に必要なのは、論点に対する知識です。
評論文の著者は、多くの場合その分野の専門家です。
専門家は、自由に思いつきを語っているわけではありません。
これまでどんな議論があり
・何が問題にされてきて
・どんな立場が対立してきたのか
そうした蓄積の上に立って、自分の視点を提示することで学的な価値を生み出しています。
つまり評論文とは、
「これまで言われてきたこと」に対して、
どの位置から何を言うかを示す文章なのです。
もしその「これまでの議論」を知らなければ、
・どこが通説なのか
・どこが問題提起なのか
・どこが筆者の独自性なのか
が見えません。
結果として、
文章全体が平坦に見えてしまう。
しかし論点を知っていれば、
「あ、これは“西洋と東洋”の二項対立の話だな」
「これは“ポストモダン以降の近代批判”の流れだな」
と、文章を地図の上に置くことができます。
この瞬間、解像度が一気に上がります。
多くの受験生は、「読んでから考える」という戦い方をします。
しかし、論点に対する基礎知識を持っている人は、「位置づけながら読む」ことができます。
これは、読解力そのものの差というより、スタートラインの差です。
では、次のようなテーマについて、
どれくらいイメージが湧くでしょうか。
・西洋と東洋
・近代とポストモダン
・構造主義
・個人と社会
・言語と思考
これらは単なる単語ではなく、
繰り返し議論されてきた「論点」です。
この論点の枠組みを知っているかどうかで、
評論文の読みやすさは大きく変わります。
単にやみくもに問題演習に取り組むのではなく、
まずは、論点を知るところから準備を始めてみましょう。
